当時のハンセン病患者は人間扱いされてなかったっぽいから、つまりそういうことかもしれんな
知らんけど

まあ、死んだ後は灰になるだけだから医学の進歩のためには仕方ないのかもしれんが骨格標本はどうなのか、私気になります

こうした中、7年前に熊本県の菊池恵楓園でかつて入所者の遺体が解剖され骨格標本が作製されていたことが明らかになり、入所者の自治会などが過去の資料に基づく全容の調査を求めました。

標本で思い出したけど、ハンセン病患者から生まれた子どもはそのまま殺されてホルマリン漬けになったってテレビでみたのを、思い出した

また、療養所では子どもを産み育てることも許されなかった。園内の結婚は認められていたが、多くの療養所では男性が断種をすることが結婚の条件あるいは夫婦舎への入居の条件とされた。「誤って」妊娠すれば堕胎が強要された。妊娠後期になっていても堕胎は敢行され、生きて産まれてきた子どもはその場で窒息させられ、あるいはそのまま放置されて殺された。こうした堕胎・断種は1948(昭和23)年までは非合法に行われていたが、1948(昭和23)年には、なぜか、重要な議論もなく、「優生保護法」にハンセン病条項がもうけられ、その後は「合法」の衣をまとって行われた。

そしてそのことによってハンセン病患者は「優生保護法」の対象となり、家族を持つという基本的人権まで奪われた。さらに患者はわが子の生命を絶つという経験から心の傷を負い、さらに胎児が標本にされるという非人間的処置によって三重、四重の被害を受けた(国のハンセン病問題検証会議に対する菊池恵楓園の報告では、同園に胎児標本は現存していないとしている。しかし、本委員会での同園元医師に対する聞き取り調査で、同園で胎児標本が作製されていたことは明らかである)。

 かつて国の誤った政策で各地のハンセン病療養所に隔離された入所者たちは、パートナーとの間に子どもを授かっても強制的に堕胎させられたり、断種手術を受けさせられたりしていた。全国に13ある国立ハンセン病療養所の一つ、熊本県合志市の「菊池恵楓(けいふう)園」に、堕胎手術で亡くなった胎児らの慰霊碑が建立され

9月にまとまった調査報告書によると、1920~30年に入所者の女性が出産した生後17日までの男児2人と、妊娠8、9カ月の死産児3人が解剖されていたことが判明。うち25年12月に生後5日で解剖された男児は「死体は解剖して当所に保存あり」との記録があった。しかし、胎児の標本は見つからなかった。

「生まれた赤ちゃんはホルマリン漬けにされて新薬の治験に」「治療に使ったガーゼや包帯は再利用」「療養所は、納骨堂・焼き場・宗教施設があり、終生隔離を前提としてつくられた」---全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)の森和男会長は、療養所での暮らしを学生たちに語った。 医学的には解決に進んでいる同病だが、政府の誤った...

森会長は、男女で隔離されていたため結婚する者たちが自然とできていたと振り返り、胎児の劣悪な扱いについても説明した。「生まれてきた赤ちゃんはホルマリン漬けにされ、治験に使われていたよ。

ここまでは過去は過去だけど、現在の政府って優生保護法で断種された人の裁判では過去は過去の塩対応だったような

今回の判決について厚生労働省は「国家賠償法上の責任の有無に関する、国の主張が認められたものと受け止めている。今後とも、救済法の趣旨を踏まえて着実な一時金の支給に取り組んでいく」とコメントしています。

けど、ハンセン病の裁判って国が敗訴してた気がするんだけど、これ負け戦っぽかったとはいえ、「異例のことではありますが、控訴をしないことといたしました」だったのか

 異例の控訴見送りだった。ハンセン病家族訴訟で政府内の反対にもかかわらず安倍晋三首相が決断した背景には、18年前の小泉政権時代の経緯もある。だが、ほかの訴訟への影響や今後の補償のあり方など課題は多い。

9日午前2時ごろ、NHKは「政府が控訴断念へ」とネットで報じる。その7時間近く後、首相が控訴しない意向を表明。その後、菅義偉官房長官は記者会見で「筆舌に尽くしがたいご経験をされたご家族の皆さま、そのご苦労をこれ以上長引かせるわけにはいかない。そういう思いの中で、総理は異例のことではあるけれども控訴しないと判断した」と説明した。

そう考えると、ハンセン病患者と違って不妊手術だけでは「筆舌に尽くしがたいご経験」まではいかないってことなのかもしれんな
知らんけど

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