それを決めるのは第三者じゃなく当事者なのかもしれんな
過去は過去
「謝ればいいってものじゃない」って怒るひとは、どうせ謝らなくても怒るひとなので、結果的に「謝らないで無視する」が最適解になってしまう。個人的には謝罪や許しよりも、忘れることが大事だと思っている。忘却がないと、断絶は広がるばかりだよ。社会も、愛情も、友情もね。
— 古市憲寿 (@poe1985) July 16, 2021
慰安婦問題が終わることなんかないよ。当事者が望むなら、永遠に謝り続けるしかない。国家同士で合意したらそれで解決なんて開き直るほうが傲慢だ。当事者にとってはそんな頭上の合意なんか、知ったことではない。もう謝らなくていいですと当事者が言うまで、解決は無い。 https://t.co/gvAokBDOTB
— ポン介 (@ume_pon) March 1, 2018
とはいえ、「私刑なんて真似は止すでござるよ」的な古市憲寿氏の主張はうなずけるかもしれんな
当事者の問題であること、日本は法治国家であること、の二点が重要だと思います。私刑は許されないわけですから、当事者が告発したい場合に、それを支援する制度や社会のあり方は大事です。だけどそれを、それこそ「いじめ」のような形で加害者を糾弾するのは反対です。
— 古市憲寿 (@poe1985) July 19, 2021
知らんけど